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公共交通腹立ち考 [エッセイ]

先週書いた北陸新幹線開通に伴い、従来の北陸線は4つの第3セクターに分けられました。
JR東海から分かれ、県と市で独自に運営管理し、民間の知恵を入れて利益を上げてくださいということです。その路線だけをみるともともと赤字であり、JR東海にとっては切り離すことで、儲かる新幹線路線だけを残し効率経営としてはいいのです。しかし、その地域の住民から見ればどうでしょう。運賃は値上がりし、車両数は減らされたために、朝夕の混雑は増し、乗降客の少ない日中は本数が減り、非常に不便になったそうです。
長野新幹線が開通した時も、横川、軽井沢間が廃線になり、峠越えの本数の少ないバスに切り替わりました。群馬県と長野県は分断され、あくまで都会と観光地を結ぶことを中心に考えられてきているように思います。
「東京から金沢まで2時間28分で行ける」ことばかりマスコミで言われ、都会と地方が直線で結ばれ、ますます都会と地方の格差が広がっていくように感じます。

大阪市内でも、赤バスが赤字と言う理由で廃止され、福祉バスも切り捨てられようとしています。
市バスも、鉄道も公共の乗り物です。
それらの存在理由はどこにあるのでしょう。
赤字か黒字かという判断基準で経営を考えるのではなく、運営を考えなければならないのではないでしょうか。

豪華な乗り物 [エッセイ]

二つの豪華寝台特急が姿を消し、北陸新幹線が新たに登場しました。
北陸新幹線も豪華な座席がついていますが、話題になることは少なく、東京から金沢まで2時間半弱で着き、富山、金沢の地域の活性化が話題の中心です。
寝台特急は、それに乗ることが目的であり、降車駅までの経過を楽しむのが旅の主眼であったように思われます。
大阪から関東地方へ行くのに、サンダーバードで金沢まで行き、そこで新幹線に乗り換えて関東地方へ行くという選択肢も生まれました。約5時間で、従来の東海道新幹線を利用するより、倍の費用と時間がかかりますが、途中下車して北陸や、立山・黒部を楽しんで関東へ向かうということも可能になってきましたね。
旅の目的がなにか、時間を買うのか、楽しさを買うのか、それによって乗り物を何にするのか、どのようなルートを通るのか変わってきますね。

祭り考 [エッセイ]

昨年末、「アベノミクス」の真偽を問う衆議院議員選挙が行われ、低い投票率の結果、自民党が与党第一党の座をキープしました。政策が承認されたとしていますが、その賛否は別として、しばらく安定与党政治が続く事は確実です。

その政策の中の目玉の一つとして「地方創生」があります。年末年始テレビを見ていると、毎年必ず大晦日の日は、お寺で除夜の鐘を聞き、年が明けると神社で拍手を打つ風景が流れます。外人から見ると日本人の宗教心はどうなっているのか不思議に感じるそうです。

私自身、平野区に住んでいるので、近くの杭全(くまた)神社に元旦早朝お参りに行きます。平安時代の坂上田村麻呂の息子の廣野麻呂(ひろのまろ)がこの地を統治していた為に、後世この地を「平野」と呼ぶようになったという説がありますが、この地では、この杭全神社の祭りがさかんで、岸和田のだんじり祭りと並び、古くから続いている祭事です。
最近、東大阪市などではとみに住工混在が問題視されていますが、この地とよく同列で取り上げられる東京の大田区や墨田区とでは根本的に大きく違う所があります。それは、東大阪市は元々市内にあった工場が手狭になり、東大阪に移っていったという経緯がある為、その経営者はその地域に住んでいない方が多く、大田区や墨田区ではその経営者の方がその地域に住んでいるという点です。先の平野区は、大田区のように大阪市内でも職住一致している地域です。町工場が多く、その経営者は会社から近いその地域に住んでいる方が多く、祭りが続き、盛んなのもそのことと無縁では無いように思います。

色々な地域で独自の祭りが行われる日本。祭りは基本的に神事として行われますが、その祭りの中心人物は若者です。先達(せんだつ)がしきたり、いわれを教え、若者たちがそれにのっとって祭りを行います。このことが地域のコミニュケーションを深め、日常的なその地域の活性化につながっているように思います。このように年に一度といえども祭りの盛り上がっている地方は、他の地方より人口流出が少なく、平均年齢も若干といえども低いのです。地方の町が消えようとする時、その町の祭りはすでに成り立たなくなってきているのです。

活性化するには祭りにおける神社のように核となるものがいります。神社は基本的に敷地内は常に開放されていて、鎮守の森があり自然と共存していて、平等に接してくれます。
会社が活性化するのも同じかもしれません。核になるのは、当然経営者であり、経営理念です。地域に開放されていて、コミニュケーションが取れる関係性があることが大事なことでしょう。

宇崎弘文氏を偲ぶ [エッセイ]

内閣府が発表した7~9月のGDP速報値は、事前の予測では年率換算でプラス2%位と考えられていましたが、発表数値はマイナス1.6%でした。これは前期比(4~6月)ですので、前期が消費税駆け込み需要反動減マイナス1.9%であった事を考えると、大きなマイナスと言えるでしょう。数値は比較する対象、基準となる数値によって大きくぶれたりするので、その点を考慮して考えなければいけないのです。

円安誘導したから、輸出企業の業績が伸び、国内設備投資が増え、社員の給料も上がり、消費が増えるという政府のシナリオは崩れ去りました。確かに大手輸出関連企業の業績は過去最高を記録しましたが、生まれた資金は国内ではなく、海外の設備投資に回され、給与アップの恩恵も円安や天候不順による原材料高、消費財の値上がりで実質賃金がマイナスになって消費が冷え込みました。戦後スキームからの脱却と声高に言っていても、輸出が国内景気を牽引するという考えから脱却できていないようです。

9月18日、一人の経済学者が亡くなりました。その人の名は宇沢弘文。大学では数学を学んだのですが、戦後の荒廃した日本を見て、又、河上肇の「貧乏物語」に触発され、経済学に転向したといわれる経歴の持ち主です。若くしてアメリカの大学に招聘(しょうへい)されて教鞭をとっていましたが、ベトナム戦争で軍需産業が殺戮率(さつりくりつ)を数値化して、効率を追求する姿に嫌気をさし、日本に帰国しました。その後、自動車のコストには、製造原価だけでなく、その後に発生する自動車専用道路の建設費や、排気ガスによる健康被害費用等、自動車を購入しない一般国民まで負担されているその費用も加味すべきという理論を展開し注目されました。

効率化のみを追求し、経済活動は市場原理にゆだねると最適化するというアメリカの新自由主義経済に反発し、空気や水、インフラ、環境、教育、福祉等は市場原理に委ねてはいけないと唱え、ノーベル経済学賞に最も近い人物と言われて続けてきた人なのです。

企業経営も、会社の為、お客様の為にがむしゃらに働いた利益至上主義の時代から、東日本大震災を一つの契機にして、何のために働くのか、会社の存在理由は、といった哲学的命題を問われる時代に入り、地域と共に、お客様と共に、そして社員と共にその取り巻く社会をよくする企業活動の時代に入ってきたように思います。利益を生み出すことは会社を存続させる手段であり、決して目的ではないのです。無駄を省き、一生懸命働き、お客様から適正な販売価格で頂く利益は、経営者を含めて社員の幸福実現のためには必要不可欠なものです。

人間、一生懸命働く姿は美しいのです。

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