祭り考 [エッセイ]

昨年末、「アベノミクス」の真偽を問う衆議院議員選挙が行われ、低い投票率の結果、自民党が与党第一党の座をキープしました。政策が承認されたとしていますが、その賛否は別として、しばらく安定与党政治が続く事は確実です。

その政策の中の目玉の一つとして「地方創生」があります。年末年始テレビを見ていると、毎年必ず大晦日の日は、お寺で除夜の鐘を聞き、年が明けると神社で拍手を打つ風景が流れます。外人から見ると日本人の宗教心はどうなっているのか不思議に感じるそうです。

私自身、平野区に住んでいるので、近くの杭全(くまた)神社に元旦早朝お参りに行きます。平安時代の坂上田村麻呂の息子の廣野麻呂(ひろのまろ)がこの地を統治していた為に、後世この地を「平野」と呼ぶようになったという説がありますが、この地では、この杭全神社の祭りがさかんで、岸和田のだんじり祭りと並び、古くから続いている祭事です。
最近、東大阪市などではとみに住工混在が問題視されていますが、この地とよく同列で取り上げられる東京の大田区や墨田区とでは根本的に大きく違う所があります。それは、東大阪市は元々市内にあった工場が手狭になり、東大阪に移っていったという経緯がある為、その経営者はその地域に住んでいない方が多く、大田区や墨田区ではその経営者の方がその地域に住んでいるという点です。先の平野区は、大田区のように大阪市内でも職住一致している地域です。町工場が多く、その経営者は会社から近いその地域に住んでいる方が多く、祭りが続き、盛んなのもそのことと無縁では無いように思います。

色々な地域で独自の祭りが行われる日本。祭りは基本的に神事として行われますが、その祭りの中心人物は若者です。先達(せんだつ)がしきたり、いわれを教え、若者たちがそれにのっとって祭りを行います。このことが地域のコミニュケーションを深め、日常的なその地域の活性化につながっているように思います。このように年に一度といえども祭りの盛り上がっている地方は、他の地方より人口流出が少なく、平均年齢も若干といえども低いのです。地方の町が消えようとする時、その町の祭りはすでに成り立たなくなってきているのです。

活性化するには祭りにおける神社のように核となるものがいります。神社は基本的に敷地内は常に開放されていて、鎮守の森があり自然と共存していて、平等に接してくれます。
会社が活性化するのも同じかもしれません。核になるのは、当然経営者であり、経営理念です。地域に開放されていて、コミニュケーションが取れる関係性があることが大事なことでしょう。

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