生きる [閑話休題]

先日、半年くらい前にガンを宣告された方とお話しする機会がありました。
年齢的なものもあって、手術は出来ず、現在抗がん剤治療をされています。

その方曰く、
宣告された最初のうちは、あそこへも行っとこう、あそこへも行きたい、と考えたそうです。
しかし、しばらく経つと、あの人にも会っておこう、誰それさんに会いたいなと、考えるようになり、
最近では、あの人に出会えて良かったな、あの人と友人で幸せだった、と考えるようになってきたそうです。

動物の中で死を意識できるのは人間だけらしいです。
死後の世界を考えるから宗教が生まれ、幽霊が生まれました。

猿が亡くなった子猿をいつまでも抱いているのは、死んだことが分らないからです。
象が死が近づくと、群れから離れて墓場へ向かうのは、死に場所へ行くのではなく、弱ってきた自分がいることが、群れにとってマイナスになることを本能的に知るからではないでしょうか。

「死」を考えることができるから、その対極にある「生」を考えることができるのです。
哲学は死を考えることから、どう生きるかという命題にぶつかって生まれてきた学問だと言われます。
そしてこの学問だけが、唯一、誕生した時と同じ命題をいまだにかがげている学問です。

ガンは現在でもまだ治療方法が確立されていない怖い病気です。
しかし、ある人によると、死に方を選べるのなら、ガンで死にたいという人がいます。
なぜなら、生きる期間が分るからと・・・
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。