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無題 [閑話休題]

御堂筋の銀杏が深緑です。東北の瓦礫処理が進んでいなくても、季節は,自然は進みます。
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沖を通るは笠戸丸 [閑話休題]

ブラジル日本人移民住宅.JPG

前回書いた、明治村にある「ブラジル移民の日本人住宅」の中に、ブラジル移民船「笠戸丸」の歴史が書かれている。
1900年イギリスの船会社により建造され、ロシア貨客船として使用された。
1905年日露戦争で病院船として旅順港に停泊中、被弾し、戦勝国である日本軍が没収し、「笠戸丸」と改名されえる。
1906年ハワイ移民船に使用され、
1908年第1回ブラジル移民を運ぶ移民船となる。
1930年以降は個人に売却され、いわし工船、かに工船に改良され、
1945年カムチャッカ沖で元の所有者であったソ連により爆沈させられた。
数奇な運命に翻弄された45年間であった。

北原ミレイの「石狩挽歌」に「沖を通は笠戸丸 わたしゃ涙でにしん曇りの空を見る」と歌われているが、これを作詞した「なかにし礼」は、若い時のことを思い出して作詞したと言われている。
しかし、当然そのころにはすでに笠戸丸は海の底で眠っていた。
石狩の浜から海を見つめる若者の目に、話に聞いていただけの笠戸丸が、きっと沖をかすめていくのが見えたに違いない。

トイレの神様 [閑話休題]

最近流行っている歌に、植村花菜が大阪弁で歌っている「トイレの神様」というのがある。
私自身も、今では弟にゆずったが、会社のトイレ掃除を20年近く毎日やっていた。
そんなこともあって、何となく身近なものを感じつつ聞いていたのだが、先日の夜、家で仕事をしていると、隣の部屋で家内が見ていたテレビからその歌が流れてきた。
長い歌をはじめて最後まで聞くともなく聞いていると、あれっと思ったことがあった。

おばあちゃんに言われたから、「べっぴんさんになりたくて 毎日磨いてた」と始めのほうには歌われている。
「トイレを掃除し続けた」ではなく「磨いてた」なのである。
単に掃除するのではなく、ピカピカになるまで「磨く」のである。
徹底なのである。
私自身も、素手でタワシを持って磨いていた。

「少し大人になった私は おばあちゃんともぶつかった 家族ともうまくやれなかった」と、反抗期に入る。

しかし、一番最後のフレーズで「気立てのよいお嫁さんになるのが夢だった私は、今日もせっせとトイレをピカピカにする」と結んでいる。

もともとトイレを磨く目的は、「べっぴんさんになる」ことだったはずなのに、毎日磨き続け、大人になり、おばあちゃんの優しさに触れ、その目的が「気立てのよいお嫁さんになること」に変わったのである。
最初のきっかけは何であれ、一生懸命やり続けると新たな目的を発見し、人間的に成長できるのである。

今は弟にトイレ掃除はゆずったが、今も他の場所を毎朝せっせと磨くまでには至らないが、掃除し続けている。

私が掃除をやり続けるのには訳がある。
それは、自分でも気づく力が付いてきたと自覚できるようになったからである。

鈍感なのかそのことを自覚し出したのは、トイレを磨きだして10年以上たってからであるが…

人は優しくなれるもの [閑話休題]

福島原発の事故の拡大で、関東・東北方面の特に小さな子どもさんや、妊婦さんが、関西方面の親戚を頼って避難してきているようです。
想定外の災害、事故と繰り返し関係者は言い訳をしていますが、絶対安全と言っていたはずなのに、絶対と想定外は同一軸では語れません。

昨晩帰宅するために電車に乗ったところ、立っている人がそこそこいるのに、何と、向かい合わせの優先座席が両方とも誰も座っていないではないか。

人生60年、他に座るところがあっても、必ず、座るべきではない人が座っているのが当たり前の風景を見続けてきたのに・・・

携帯いじくっている若者達も静かに立っている。

生まれて初めて経験した風景である。
何となく、みんな辛抱して、譲り合う気持ちがあふれている。
国難ともいうべき事態が起こり、一人ひとりが優しくなっている。

世界唯一の誇るべき国民性である。

偲ぶ会 [閑話休題]

今日、中学の担任先生の偲ぶ会がありました。
昨年暮れ、ガンで亡くなられました。その1週間ほど前、同じ中学のクラブの顧問の先生も亡くなりました。
よく考えると、その先生方は、自分の親と同じ年代です。
父親がそれより先に行っているんだから仕方がないのかな・・・・

黒い服は、めでたい時に着ていくよりも、悲しいときに着ていく機会のほうが、圧倒的に多いのです。

でも、悲しみの中でも、懐かしい友たちは、明日に向かって生きていこうとしています。

今日会った、同級生と、松屋町商店街の活性化のために、私が取り組んでいる「八百屋マン・マーケット」を活用して行こうと意見が一致し、多分、3月後半から松屋町商店街で始まりますよ。

乞うご期待!

死を見つめてpart-2 [閑話休題]

先週、私の尊敬する中学時代の恩師が亡くなりました。
教師を定年退職後、61歳から起業し、お世話になった学校にお返しをする第二の人生を、新規事業という形で実行されてきました。
起業するとき、経営者としては先輩だと、教え子の私達が武士の商法になるからやめたほうがいいのではとえらそうに諌めました。
昨年その恩師と一杯飲んでいる時、「創業して10年以上たったのだから、多少はホンマモンやろ」とおっしゃって、返す言葉がありませんでした。
残された奥さんや息子さんが、お葬式のとき、前向きに生きた故人ですので明るく送ってやって下さい、と挨拶されたので、涙見せるまいと決めていたのに、決めていたのに・・・・
遠くから駆けつけてくれた後輩と、久しぶりにこんな席で出会ったのも先生の引き合わせ。

この出会いを大切にしたいと今、動いています。
小さな縁、ちょっとした出会いでも、次、この人と誰との出会いをつくるとお互いHappyになれるかを考える様にしています。
みんな人の為、人のお役に立てること。

いえいえ、そんないい人ではありません。
みんな自分のため、身内のため。
takeの先にあるgiveを見ているずるい奴。
優しくありませんよ、ずるがしこいだけです。だまされてはいけません、腹黒さを見せない羊さんですよ。

恩師の死を見つめての懺悔です。

あらかん [閑話休題]

このブログのタイトル「アラカン親父の片思い」のアラカンとは、皆様ご存知「around還暦」のことです。いや、でした。今は「over還暦」になりましたが、先日、このブログを読んでくれている友人と一足早い忘年会で一杯飲んでいる時、教えてくれました。

「アラカン」とは、漢字で書くと「阿羅漢」。この意味は尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のこと。サンスクリット語"arhat"の主格 "arhan" の音写語。略称して羅漢(らかん)ともいう。もとは釈迦の尊称の一つと。

すごい!!

このブログのタイトルをどのタイミングで「アラカン」から「オバカン」に変えようか迷っていただけに、これで迷いは吹っ切れました。
ずーっと「アラカン」でいきます。いつの日か、釈尊になれるかな?


サンホセ鉱山事故からの救出を見て [閑話休題]

先日チリのサンホセ鉱山落盤事故で、長期間閉じ込められていた中から奇跡的に救出された33名のニュースが実況中継され世界中の拍手喝采を受けた。
大変な精神的苦痛の中、よく全員無事で救出されたものである。
このニュースを見て、第2次大戦終戦後、ドイツ軍のユダヤ人収容所アウシュビッツから無事生還できた人と、処刑ではなく亡くなってしまった人との違いを調べたレポートを思い出した。
生死を分けた違いは、希望を抱き続けたかどうか、又、その希望が強かったかどうかであったそうである。

鉱山事故で閉じ込められた中でも、空気、食糧穴だけでなく、外の家族と映像を通して会話ができたというのが精神状態を保てた大きな要因ではないだろうか。
人間というものはコミニュケーションできるということが肉体的にも、もちろん精神的にも生きていく上で大切なことであり、同時に、希望は明日の生きる糧になりうるということが今回の事故で証明されたような気がする。

初めての体験(猫カフェ探訪) [閑話休題]

先日初体験!
ヤング(そもそもこの言い方がフルー)が集まるアメリカ村の中にある「猫カフェ」なるものに初めて行ってきたのである。
恐ろしげなビルの階段を上がり、料金表示がないドアーを開けると、そのガラス越しにニャーとお出迎え。

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部屋の中は萌えーなにゃん子がいっぱい・・・
思わず「うい奴じゃ、ちこーよれ」と言ってみたが、みんな知らんぷり。

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エジプトの壁画に出てくる猫でありんす。

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やっぱり高いところが好き。

死んだ愛猫を思い出しつつ、癒された時間を過ごしました。


敬老の日に「今時の若者は・・・」 [閑話休題]

最近、たくさんの若者と接する機会があります。
ある起業意欲に燃える若者達は、夢を描き、目標を持ち、働くことに社会的意義を添付して、目を爛々と輝かせています。
又、ある若者達は、社会的弱者といわれる同じ若者に寄り添い、社会になじんでいく手助けを真摯な気持ちで取り組んでいます。

そんな若者達と接していると、還暦迎え益々腹黒くなってきた心の浄化に一役買ってくれます。

子供が子供を生んだようなものだと言われて、幼児の虐待や、育児放棄が報道され、又、嘆かわしいこととして若者の自殺者が増加していると伝えられます。
「今時の若者は・・・」この言葉は、いつの時代にもしたり顔の大人が口にするものです。

すばらしい若者がいる比率は、大人のその比率より高いのではないかと思います。
「木を見て森を見ず」のオジンにならないよう、今日の敬老の日にあたり心したいものです。
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